歴史

 青谷町に人が住み始めたのは、土器や石皿、石斧などの出土から縄文時代と推測されています。

さらに、「弥生の博物館」と言われている青谷上寺地遺跡からは、弥生時代中後期の護岸工事跡や祭り場跡が発見されています。

 かつて、現在の鳥取県は、東部の因幡国と西部の伯耆国とに分かれており、現在の青谷町は因幡国の気多郡に属し、日置郷と勝部郷に分かれていました。

 都からの「山陰道」が整えられ、因幡国内の主要駅「柏尾駅」が本町に設置されており、中世末には鹿野城主亀井茲矩が領地として治め、用水路と水田の整備を進めるとともに、青谷港は、命を受けた塩五郎太夫の「朱印船貿易」の本拠となってにぎわいました。

 明治4(1871)年の廃藩置県により鳥取県が誕生しました。明治10(1877)年に最初の合併が行われ、その後数度の改変を経て、明治21(1888)年の町村制の公布に併い、青谷村が誕生し、大正3(1914)年に町政を施行し青谷町となりました。

 昭和28(1953)年に、青谷町、日置谷村、勝部村、中郷村が合併し、さらに昭和30年には日置村を編入して現在の青谷町が誕生しました。当時は12,367人2,361世帯の規模でした。


 以後、

昭和33(1958)年 中学校統合。

昭和36(1961)年 商工会設立、農業協同組合統合。

昭和40(1965)年 町営住宅第一号完成。

昭和50(1975)年 因州和紙が国の伝統工芸品の指定。

平成5(1993)年 あおや郷土館と新庁舎のオープン。

平成13(2001)年 青谷上寺地遺跡展示館オープン。

平成14(2002)年 あおや和紙工房オープン。

平成16(2004)年11月、鳥取県東部9市町村(鳥取市、国府町、福部村、河原町、用瀬町、佐治村、気高町、鹿野町、青谷町)の合併で鳥取市となったのが現在までの主な経緯です。